誰しも
何だか調子が良くないとかあるものです。
よく全く不調のない生活とか
肩こりや腰痛の無い
完璧な状態をとか
そんな話を耳にするし
患者さんの中にも目指す方がいたりします。
そこを目標に頑張る事が
悪い事だとは言いませんが
そんな完璧な状態って
ハッキリ言って
不自然です。
仮に完璧な状態を
作るとすれば
気圧、温度が管理されていて
必要な栄養素が完璧に計算され
尚且つ死なない程度に
低温にした状態で
ペーストを流し込みながらは
カプセルで保存されていれば
完璧な状態を作り出すことは
できるかもしれませんね。
でもそれっておかしい事だし
不自然以外のなんでもないですよね?
それは僕自身に不調が
あまりないからでしょ?
と思うかもしれないけど
僕だってデスクワークや
運転の時間が長くなれば感じる時もあるし
この日みたいに
イスでうたた寝して
首が痛いことだってあります。
ただ、そこの部分の捉え方や
考え方がちょっとだけ違うってだけ。
現代って昔よりも遥かに多い
要素の中で生きていますよね?
飲食
労働
薬
家電製品
対人、対物ストレス
などなど
挙げたらキリがないけど
便利な反面
そんな無数の
要素の中で生きています。
これだけの要素が
混在しているのに
毎日、絶好調!
なんて言っている人の方が
カラダからのサインに
気づいていないとか
気づかないふりをしていたり
あまり考えてない
という可能性もあります。
だから常に完璧ってわけじゃなくて
時々不調を感じたり違和感を感じたり
ちょっと辛い時には
愚痴をこぼしたり
なんとか乗り越えようとしたり
なんて具合に
向き合う方がよっぽど
人間らしいし
自然なことですよね?
なんか哲学みたいな
話になってますが
大切なことは
完璧な人間はいない
ってことを
頭の片隅に置いておくこと。
だからこそ
コーヒーの飲み過ぎって良くないよね
水分補給って大切
周りとの関わり合いとか
友達っていいよね
姿勢って大切だよね
ちゃんと寝ないとだめだよね
ちょっとおかしいから
治療しようかな
と言う風に習慣とか
問題点を意識して
そこをどうするかってのが
大切ですよね?
早く痛みをどうにかしたいのは
とってもわかります。
でもその痛みは
色んな事が絡んできています
なので、そこをしっかりと
見つめてから
自分で対処できるのかとか
誰かの力が必要なのかとか
そう言う判断材の
材料になり得るわけです。
また、痛み自体も
いやなものだけど
おかしいよ!っていう
危険信号であって
生きるために
必要なものです。
人間は完璧ではない
って感覚がないと
なぜ治療をするのか
どんな事がひつようなのか
これは今の自分に必要なのか
など、なにをするんでも
見えないといけない物まで
見えなくなってしまいます。
だから自分がどう感じてどうしたくて
どうなりたいのかってのを
ちゃんとイメージする
って事が大切だし
自分のカラダをまずは
知る事が大切ですよ!
それじゃ、また明日!